価値観の違いと、少数派であるということ(シビック)。
誤解を恐れずに言うと(わざわざこんな言葉をつけなきゃいけない時点でアウト)、自分自身も含めて言葉のブーメランを投げない人はいないと思っています。正論のようなその言葉を紡ぐ人が、別の角度では自らがそれを行っている。気が付いていないだけなんです。自らが痛みを感じない領域ではどんな人も平気で人を傷つけている。 指摘すると「それは違う」と「それはそれ!」をされますけど。ほぼ100%。 人をけなす言葉はすべて自分の行動にもに当てはまると自戒し、言葉を選んでいます。生きていればその口からこぼれ出た言葉でたくさんの人を傷つけるし、書いた文章が人を悲しませる事だってある。自分の正義を絶対だ、という言葉ほど嘘八百な言葉はない。 シビックのCMのこの部分は、すごく秀逸なコピーだと思ってる。 自分の外には自分の知らない感情が無数に存在し、全く矛盾する幸福感を持つ人たちが隣り合わせで生きているのだ。 評論家の誰もが日本で売れないと言っている、アメリカでバカ売れしているシビックセダンと、欧州でバカ売れしたタイプR+ハッチバックを日本のサポートをつけて売る。販売店の営業ですら「売れないと思う」と言う。 でも、現車のまともな試乗もない中で、数千人が予約をしていて、その半分は日本で絶滅しかかっているMT車で、もう半分は売れないと言われているセダンで、そして全てディーゼルとEV・ハイブリッドにオワコン扱いされている純ガソリン車だったりする。 そしてここに「これなら良いかな」という日本人もいる。 拒絶されることに疲れた人の拒絶する言葉、怒りの言葉もわかるけど、そのエネルギーを言葉が伝わる人たちへの応援と、言葉が伝わらない人たちへの説明(言葉をかみ砕き、興味ある言葉に仕立てる)に使ってほしいと思うのです。 シビックと全然関係ないけど、今日はそんな感じで。